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平成21年度亀岡市PTA連絡協議会新会長決定! [教育関係]

 去る3月25日市民ホールにて新旧理事会で規約に基づいて新しい会長を選任しましたが、昨年同様事務局の問題で難航していましたが本日新会長より電話連絡があり昨日の新教育長との話し合いの中で会長校が正式に引き受けてくれたとのことで正式に21年度の連絡協議会として機能するのでほっと胸をなでおろしています。
私も決まるまで顧問としての責任を感じていました。
今の現状ではどこの学校も事務局を進んで引き受けられるような体制ではありませんし、また会長も現状では自営業者か公務員、もしくは議会関係者が多く誰もが引き受けられるように整理しなければなりません。
私も就任早々総会の準備と懇親会の段取りで右往左往していました。
本部役員も理事の顔もなかなか覚えられず大変でしたが、回を重ねる事に本部役員が一丸となり、理事にも貴重な意見をいただき議事進行がスムーズに進行するようになりました。
振り返ってみれば大変な1年間ではありましたが、かけがえのない1年であったような気がします。

ざっと会長の充て職は主に以下のようなものがあります。
亀岡市学校安全対策協議会
学校安全体制整備推進委員会
教育研究所企画運営委員会
青少年問題協議会
社会を明るくする運動実行委員会
亀岡市健康づくり推進会議
ゆうあいフォーラム実行委員会
亀岡市男女協同参画審議会
亀岡市交通安全対策協議会
クリーン亀岡推進会議
まちづくり市民の会
亀岡市人権啓発推進協議会
ヒューマンフェスタ
五者合同研修会代表者会議
ガレリア財団評議委員会
子ども環境会議実行委員会
南丹地区小学校駅伝競走大会
亀岡市地域学校実行委員会
暴力追放協議会
亀岡市環境基本計画推進会議
犯罪被害者支援連絡協議会
要保護児童支援連絡協議会
女性集会
青少協市民集会
平和祭
母親代表委員会
亀岡市社会教育委員
亀岡市家庭教育支援協議会
(順不同)

 抜け落ちもあるかもしれませんが、その他の仕事は各種方面よりの後援依頼の承認や学校のバザー、府の研究大会、市Pの研究大会、南丹地区子育てフォーラム等があります。
大体協議会の開催は年3~4回程度で会議等は平日が多く講演会等は休日が多かったように思います。
もちろん、全て出席はできませんし、本部役員に振り分けをしても日中の会議は無理というのが実情です。
何せ会員は30代から50代の働き盛りですから・・・。
事務局はこれらの案内が届くので会長に連絡をし、総会等の資料作成や動員の人数確認、事業報告や日程調整などでとにかく大変なのです。
会長と事務局は常に連絡連携をとって本部役員の意思統一をしたものを理事会に通し承認を得てから総会に望まなくてはなりません。
昨年は府pの会費の値上げ問題でわずか年間41円の値上げでしたが、承認を得るのは大変でした。

 誰もが安心して引き受けられるような、誰もが楽しくボランティア出来るような体制に変えなければ毎年会長と事務局の問題はなくなることはないでしょう。
選択と集中の中で本当に必要な会議を選別し、事務局も役所と分担して負担を軽減すべきだと思うのです。
そしてOB会に助けていただき懇親会等の企画を任せられるような体制が望ましいと思います。
現場を知る会長やOB会と連携しながら現実に即したこれからの市Pのあり方について模索し提案できればと思います。
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市P存続の危機! [教育関係]

 3月25日に市P(亀岡市連絡協議会)の新旧理事会において次期会長校が選出されました。
しかし、前回私の時と同じく会長校が事務局となる学校が事務局をかたくなに拒否するという事態になりました。
昨年の教訓が全く生かされていないのです。
もちろん事務局が受けられないという事になりますと振り出しに戻ってしまうわけです。
当然会長を辞退せざるを得ない状況になってしまうのです。
会長と言いましても私の時も同様、別に嬉しがって手をあげたのではなく、誰も受け手がなければ会議が終わらないので出来る可能性の高い人が指名され責任感から引き受けただけなのです。
にもかかわらず、自分から手をあげたんとちゃうんか(落選議員が票ほしさに喜んで手をあげた)みたいに噂を耳にした時、腹が立つより悲しくなりました。
それに追い討ちをかけるように学校からも嬉しがって引き受けたように思われ冷たい言葉を浴びせられた事は一生癒える事のできない心の傷となりました。
同じ思いを次の会長にはしてほしくないという思いから言いにくい事をはじめにすべて誠実に話しました。

 本日、会長候補に連絡をとりましたが、今日現在何のアクションもない状態で事務局の引継ぎはおろか連絡協議会として機能不全の状態です。
当然会長候補からアクションは起こせないので調整役は顧問の仕事ですが放置して問題提起しようとも考えましたが、子どもじみた考えなので出来る限り調整するのが私の役目と思い旧教育長に電話をしました。
旧教育長に話しを聞いていますと引継ぎが忙しく、まだ調整がうまくいっていないそうです。
事務局が拒否する理由は教頭が膨大な事務作業を一人で受け持つことになり本来の業務に支障をきたすからです。
そもそもそこに根本的な問題があり、会議の日程調整から懇親会の段取り、研究大会の準備や各種資料の作成、出席の確認や報告これらを一人でこなし会長や社教と連携しながら本来の業務と平行して完璧にこなすのは無理です。
事実、私も現場で出来る限り仕事を抜け出し教頭先生のサポートをしてきました。
なぜなら倒れられたら困るからです。それほどハードな仕事です。
頑張れば頑張るほど家族との接触も減り、一体俺は何をしているんだろう?子どものために頑張っているのに自分の子どもがおろそかになるというジレンマにかられていました。
共稼ぎの学校の先生が自分の子どもを親任せにしているのと同じ状況なのです。
熱心に活動すればするほど自分の子どもが離れてゆくのなら本末転倒です。

 そもそも事務局でありながら教頭任せではなく他の教師が積極的にサポートをするべきで本音の部分では『余計な仕事は増やしたくない』と言う考えが根底にあるのかもしれません。
懇親会はOB会に任すとか、関係団体を選別して整理するとか、事務作業の一部を社会教育に担ってもらうとか今の時代に合うように過去の慣習や先例を考え直すべきだと思うのです。
単年度でそれぞれ問題点は感じていると思うのですが、早く引き継いで楽になりたいという思いが蔓延しているような気がします。
つまり会長も事務局も余裕がないのです。
それに追い討ちをかけるように府も色んな企画を持ち出してまだまだ用事を増やしてくるのです。
もっと現場の実情を知ってもらいたい、会長も自営業か公務員しか受けられないような状況ではだめなのです。
誰もが安心して引き受けられるようなPTAに改革しなければなりません。

 現状では16日の引継ぎ会はおろか5月の総会が開けるかが疑問です。
規約に基づいて役員選出をしました。
市PとしてのPはボールは投げました。
後はTのキャッチャーが受けるかどうかです。
もし、前代未聞の連絡協議会が機能不全で休眠状態になれば教育委員会及び学校側の責任が問われることになると伝えました。

 某市内高校の事件も校長が前PTA会長に口止めをした理由が理解できました。
4月1日の人事異動で定年退職だったのですね。
死人に口なしで濡れ衣が着せられても真実を語らず暴力に屈する、教育者としてあなたの守りたかったものは一体何だったのか?
『大過なく過ごす・・・』いい言葉じゃありませんか。
教育者のトップとして教師も生徒も守る事ができない事は腹立たしく、悔しく、悲しく情けない限りです。

 心配が過ぎればPTA顧問がかき回していると言われるかもしれないのでこれ以上の言及は避けたいと思いますが悪く受け取らないでいただきたいと願うばかりです。
『強いものには弱く、弱いものには強い・・・・』私の大嫌いな言葉です。
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これにて一件落着! [教育関係]

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 昨日、重災害報告書の件について学校長と被害者保護者の話し合いが行われ、黒く塗られた報告書の記された文言で被害者保護者が納得いかない表現に(発生時刻、医師の治療の必要が認められないという内容、苦情の電話、抗議に行った等の表現について全て訂正がなされており、保険についても誠意ある対応をしていただくという事で、また対応の遅れについても正式な謝罪があり被害者保護者も納得のいく内容であったのでこの件については一旦終結いたします。
今後も教育現場が気の緩みなく子供の安全確保とよりよい教育のために毅然とした態度で人間味あふれる教育指導をよろしくお願いいたしたいと思います。
これは私見ですがWBCの件は現場での気の緩みはあったのかもしれませんが、ここまで新聞で叩かれれば気の毒のような気がします。
もう少し抵抗されるのではと磐石の体制で証拠集めをしていましたが、あっさり報告書を書き替えて拍子抜けしました。(今後の安全管理とその後の対応、正直な報告をしなければ黙っていません、都合の良い憶測の報告は捏造に値します)

 ブログでは生徒が保護者に通報したのでしょうと書きましたが、考えてみれば生徒が職員会議室に入る可能性はきわめて低く、こころよく思わない身内の誰かがリークしたと考えるのが妥当ではないかと思います。
ほとんどのこの手の話しは内部告発によるものが多いと思います。
先生間での不協和音の声も耳にします。
こ存知の通り教職員組合も主に日教組(連合系)全教(共産系)非組合員に分かれており、子どもの教育に関する意思統一がしにくい状況にあるのです。
これでは子どもたちに良い教育ができるのかと思うのです。
会社組織でも社長と専務と常務が考えを同じにしなければ社員はどうしてよいのか分かりません。
社員がめいめい好き勝手をすればミスや事故は起こりやすいのです。
ある保護者の方と子どもの教育について議論をしていましたら、校長にもっと権限をもたせ場合によっては総理や野球の監督のように動かしやすい人選を校長が教育長と調整すればうまくいくのではと言う意見も頂戴しました。
実際には難しい面が多々ありますがユニークな意見だと思います。
もちろんそれ以前に校長の人格品格が求められ、結果が出なければ責任を取るような体制が大前提です。
古い現場にいる教師が幅を利かせるようなことではあってはならないのです。

 今回の新聞記事の件でも犯人捜しをするのではなく、今一度校内の体制を引き締めて思いを一つにして、気負わず子どもの目線に合わせて威圧的でもなく友達感覚でもなく、子どもが教師に何でも話しやすい環境の中でもっと威厳をもってもらいたいものです。
保護者も同様だと思います。
この問題は決して他山の石ではなく、教師と生徒の信頼関係、保護者と教師の信頼関係を考え直す必要性があるのではないでしょうか?
そう考えると意味のある警鐘だと思うのです。
「人生に無駄はなし、全てに意味がある」が私の信条です。
そろそろPTAのあり方、学校のあり方を時代に応じた現場の状況にあわせて考える時期に来ていると思います。
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一体教育の現場はどうなっとるんや!② [教育関係]

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 ヤフーのインターネットニュースをいつものように見ていましたら実名入りで亀岡の中学校の記事が出ていたので驚きました。(早速コンビニで新聞を購入しました)
この中学は昨年春にも教師の強制わいせつ事件で新聞に登載された学校です。(今は職場復帰?もう時効ですか?)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090327-00000564-san-soci
27日付けの産経新聞25面に部活中に会議室でWBCを観戦し、部活開始後も観戦していたと言う記事で校長は『普段頑張ってくれていたので大目に見た』『入れ代わり立ち代りの状態だったので、部活をやっていたのは知っていたが見逃した』と釈明しているそうです。
部活指導に関する明確な規定はないそうですが付き添いが原則です。
バットが頭部に当たった事故も、たまたま大きな怪我でなくて良かったのですが施設内事故処理の明確な規定がなくとも生徒の安全確保が最優先であることは言うまでもありません。
学校の役所への報告も学校の判断に任せているのが実情です。
これでは、よほどの事でもない限り(新聞に載ったり一ヶ月以上治療を要する重災害)報告があがらないシステムになっていて、その場合でも事故発生からかなりのタイムラグがあるのです。
報告しなくとも誰からも怒られる事はなく、校長が書く報告書も一般の目に触れることはめったにありません。
当事者保護者が閲覧したくとも情報コーナーで開示請求をし、教育長の判の押された黒くべったりと塗られた報告書しか見せてもらえないのが実情で、これでは事実が過小評価されて捏造される危険性があるのです。

 これくらいの事はと言う意識が蔓延し、認識がなかった、認められないという行政独特の人間味のかけらもない言葉の釈明や報告書に終始するのが通例です。
現場に明るい今度の新しい教育長には各学校内の現場のきちっとした報告があがり、状況を把握しどう対処したかを評価するシステムの構築を期待しています。
隠蔽や捏造(意図的なうその報告)に対しては降格も含めた厳しいペナルティーが与えられるべきと思います(民間では当たり前の事ですが)
今一度学校は誰のためにあるのか?PTAは何のためにあるのか?という原点に立ち返り、学校もPTAも身内(教師や会員)を守るのではなく正しい方に向かう、つまり誰が考えてもおかしいと言う事はおかしいと感じるそして言える世の中でなければなりません(日本に生まれて本当によかったと思います)
現実には真実や正しい事を言い続けれると不都合に感じる巨大な勢力に潰されてしまうのです。
政治の世界も似ているのかもしれません。
相手を引きずりおろすために根拠のない噂話しや誹謗中傷は当たり前、おかげさまでそれに耐えて強く逞しくなりました。
私は卒業式でのPTA最後の会長来賓挨拶で、他人の噂話しに左右されず「真実を自分の目で確かめる大人になってほしい」と述べたのは自分が50年近く生きてきて心からそう感じたからです。
あーこんな時吉川さん(亀岡市民新聞創設者)が生きたはったらなー。
潰されそうになった時いつも正しいアドバイスで励ましていただきました。
道に迷ったときのよき相談相手をなくし、今頃になって存在の大きさを痛感しています。

 教育現場も少し気の緩みがあるのではないか、真面目に子どもたちのために身を粉にして頑張る先生が同じ目でみられない事を願うばかりです。
こんな記事を書いていますと井上がマスコミに話し(ネタ)を持ち込んだのではないか、全くアホなことばっかりしやがると今頃疑われているかもしれませんが、今回の件に関しては100パーセント否定いたします。
おそらく不快に感じた生徒が保護者に話したからだと思います。
もっと明るい話題で亀岡をアピールしたいのですが出てくる話題がこれではね。
こんな暗い話しは書かないほうが良いのは100も承知していますがトップページにも書いているように「臭いものに蓋をしない、見てみぬふりをしない」が私の信条ですので・・・
現職時代北海道で全国市議の大会で大会に出席せず旭山の動物園に行って観光行政の視察と釈明して記事になった事を思い出しました。
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一体教育の現場はどうなっとるんや!① [教育関係]

 25日新旧理事会を終え、冒頭会長挨拶で強いPTAになるように訴えました。
現状では府や市の事業報告書作成のためのアリバイ作りや動員に利用されていると感じたからです。
会長が決まれば他の理事も役から逃れてやれやれではなく当事者意識を持って会長を支えなければ組織が弱体化しナメられてしまいます。
それが証拠にキッズ駅伝に来賓で招待されても読み上げが最後でした。
順番は順不同かもしれませんが、読み上げが商工会やJCの後はないでしょう。
なぜなら子どもが主体なのですから・・・そうは思いませんか?
新旧理事会に案内はすでに文章で各学校宛に発送しているにもかかわらず、案内が新理事にされていない学校が数校あったのも残念でした(軽く見られているのか?)

 今年度も難産の上に新役員がほぼ決まりました。
今年度は5ブロックに分け各ブロックより会長、副会長2名、会計、庶務を選出し後に府P理事を男女各1名選出しました。
以前は府P理事のグループは女性のみで固めていましたがそれでは女性会長誕生の可能性がなくなるので男女共同参画の観点から女性も平等にチャンスがあるように改革しました。
例年会長選びは一番苦労するのですが、どうしても決まらないのなら学校がOKしてくれるのなら引き受けてもよいという所まで話しは進みました。
翌日、会長候補より連絡があり、どうしても学校が無理と言うので引き受けられないとの返事があり、確かに事務局の事務作業は半端な量ではありませんので、お伺いを立ててもどこの学校も進んで事務局を引き受ける事などありえないのです。
実は昨年もそうでした。
私も子どものためのボランティアで引き受けた会長ですが、校長、教頭に激しく断られた経緯があります。
その校長は就任1年で転出し、(市Pの件とは無関係かもしれませんが)新しい校長と教頭(前教頭は定年退職)になりました。
一度に校長教頭が変わるケースは大変珍しいケースだと思います。
実際ここには書けないようなひどい罵声を浴びせられ8000人の保護者代表がなぜ校長に偉そうに言われなければならないのか無性に腹が立ちました。
「ちゃんと頭下げて教頭先生にお願いせなあかんで」なんでや!「一緒に子どもたちのために頑張りましょうとちゃうんかいな」と思いました。
読者の皆さん私が間違っているのでしょうか?
会長校が事務局を拒否することを理由に市P連会長を辞退しても良いのかとその校長に尋ねると、それでもかまわないと言われたので前会長に重要事項の説明不足(学校の許可を得なければ引き受けられない)によるので白紙に戻すと連絡し、教育長に事情を話したのです。
今年度も同様の事が起こってしまいました。
こんな事を繰り返していたらいつまでたっても決まらないのです。

 会長校が引き受けるように指導徹底するのか、事前に学校と根回しをして一本釣りするのか、輪番制にするのか、それともいっそのこと亀岡市PTA連絡協議会を廃止するのか決断せねばなりません。
いずれにせよPTAサイドの問題ではなく学校側もしくは教育長の指導の問題なのかわかりませんがこのような事態は避けてもらいたいのです。
それとも事務局が出来ない理由に膨大な事務作業があります。
総会の直後の懇親会の段取りも誰を呼ぶのか、挨拶の順番や席順、会場の手配など仕事を抜け出し交渉や調整を事務局と走り回った事をつい昨日の事のように思い出します。
孤軍奮闘の事務局の教頭先生が潰されないように出来る限りサポートしました。
事務局の教頭先生一人に任せては大変なので他の先生もサポートするか、もしくは教育委員会の社会教育課が一部作業を受け持つとか誰もが気軽に引き受けられる体制を早急に考えるべきだと思います。こんな事を書けば悪者扱いになるのを覚悟で書きます。
PTAが誰もが安心して引き受けられるようなボランティア組織に変わるまで・・・。
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噂の真相(黒く塗られた報告書) [教育関係]

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 某市内中学での自主練習に来ていた3年生の振りぬいたバットがクラブ対抗のマラソン大会の練習中の生徒の右目に当たった事故の重災害事故報告書の開示を10日情報コーナーで開示請求をした。
部分開示の決定がなされ、3月19日に被害者保護者と伴に担当者より説明を受けた。
私がここまで必要にこだわる理由は危機意識の欠如でこのまま放置すれば同様の問題がおこりうると感じたからだ。
 不慮の事故に対して個人を責めるつもりは全くないが、その後の学校の対応や本人による自宅で反省すべく待機中のプロフの書き込み(被害者を冒涜する内容)に対しては許しがたい問題ではあるが、当人同士が納得すれば私が口出しすべき問題ではないことは分かっている。
私がPTA連絡協議会会長として関われる問題は学校の安全対策といじめの問題の2点である。
なぜ1時間もの間タオルで冷やす応急手当のみで救急車を呼ばなかったのか、報告が遅れたことについては後に私の認識が甘かったという言葉を校長よりいただいた。

 校長は当日不在であったそうだが当時保健室には7人もの先生がいたにもかかわらず、救急車を呼ばなかった理由を聞けば
①頭と目の治療をあわせた病院を探していた(遠く離れた府立病院に行きますかと言われたらしい)
②こんなことくらいでなぜ病院に連れて行くのかという親もいる
③当日生徒がバイクに引っかかって倒れる事故があった
④先生がこの日は忙しかった(大切な書類を書く作業に教師が追われていた)
私の目から見れば言い訳のオンパレードだ。
総括すれば①は救急隊員が考える事で重災害事故に医師でもない教師が考えるべき事ではない。
保険証を保護者に取りに帰らせたり、1時間以上経過して遠く離れた府立病院に行きますか?かかりつけの医者はありますかの問いかけは論外である。
②については振りぬけたバットが目元に当たり病院に連れて行って怒る親はまずないだろう。
少なくとも私なら怒るどころか学校に感謝する。(保護者にしっかりと誰がどうしたという伝達がなされていたのか)
③についてはPTA総会で保護者の停車中のバイクにマラソン練習中の生徒に接触して生徒が怪我をする事故があったそうだが昼間の事故で対応は終わっていたのではないのか?
④忙しいが対応が遅れた正当な理由になるはずがない、それは学校側の問題ではないのか?
私の結論はこうだ、最初はあまり腫れていなかったのでは大したことがないと思っていたが徐々に腫れがひどくなり事の重大さを認識した。
もしくは救急車を呼べば警察とマスコミに連動する事を恐れたのか(学校側は否定しているが)
事故発生から報告書が出るまで3日が経過し、pta会長も教育長の耳にも届いていなかった(別に驚いた様子でもなく)というお粗末さである。

 この問題を通して保護者の皆さんにも知ってもらいたい、学校の入っている学校保険会の保険内容は入院の治療費しかでないのである。
つまり、保護者の休業保障も後遺症障害が残るような事故の保障は一切ないのである。
相手に怪我をさせた場合も同様、賠償責任は学校、もしくは加害者が負担しない場合は訴訟によって加害者や亀岡市に訴えるしかないのが現状で、被害者が高額な医療費の立替(治療費は1ヶ月遅れで入るが1割程度割り増しになっているらしい)や休業補償もなにもない。(言い方がわるいが現状ではやられ損)
新聞紙上で保護者が学校を裁判で訴えるケースがよく載っているのはそのためである。
だから市Pの最初の新旧理事会で府P推薦のこども総合保障制度の任意保険の加入を薦められるのである。
その意味がやっと理解できた。

 私がなぜ情報公開の申請にこだわったのかと言うと驚く事に防災マニュアルはあっても事故に対する連携や報告は学校の判断に任せていることに尽きる。
軽い打撲や怪我の報告まで必要ないと思うが、今回のような医者にかかって縫う怪我や病院に行くような重災害については報告義務を課すべきであると思うのである。
いじめや不登校についても同様である。
そして、起きた事を責めるよりどう対処したかを評価すべきで、むしろ重大事項の報告を怠ったり事実を捏造すれば懲罰を課すべきだと思う。
情報を共有して再発防止に努めるべきと考えるのは私だけではないはずだ。
学校の経営方針にこう書かれている『開かれた学校つくりを推進し、家庭や地域との連携を大切にした信頼される学校づくりを進める』にも関わらずPTAに知られるとうるさいとの思いを感じているのではないのか。

 偶然知る事になった市内高校の先生自殺の問題でもマスコミや府議にも一切知らされず、学校はPTA会長に対し役員だけにとどめてくれと口止めをし、教師ですら真実を知らされていない状況の中、学校は情報を一切封印しているが再発防止の検討がどうなされているのか!
(正しい情報を学校が出さないので噂が噂を呼び、はセクハラや暴力を教師が女子生徒に行い、生徒の親に訴えられたのを苦にしてと言われているが、真実は励ましのつもりで生徒の肩をポンポンと叩いただけで親が学校に苦情を申し立て、警察に被害届を出すと言う誰がどう考えても無茶な要求と分かってなぜ府の抱える弁護士をいれなかったのか、なぜ毅然とした態度をとらなかったのか親の訴えを受けどのような調べをしたのか全く闇の中である。お亡くなりになった先生の名誉回復のために学校は正しい情報を話すべきだ。先生はあと数ヶ月で学校を離れて田舎で農業をする夢があり、裁判をすれば勝つのは分かりきっているのに一体何を守ろうとしたのか?その気持ちまで踏みにじろうとするのか?故人を冒涜するにも程がある)
もちろんマスコミにも知らされていなかったが、生徒の将来の事を考えればおそらく記事にする事は難しいかもしれない、誰も真実を知っても直接自分に関係なければ関わりたくない・・・この考えが悪をはびこらせる元凶だ。
 
 こんな話しは氷山の一角だ、報告がなければうまく行っているという考えは間違っている、報告があがらない腐りきった体制に問題があるのではないのか。
私が報告書の開示を求めた理由は正しい報告がなされているのかどうか疑問を感じたからだ。
学校側の報告は一般的に見る事は出来ない、役所にお願いしても見せてもらえないから仕方なく開示請求をした。
片方だけの報告を信じる事は危険である、双方から事情を聞いて正しい情報でなければ無意味である。
誰しも自分を良く見せたいと思い悪い事は過小評価し、よい事は過大評価する傾向にある。
分かりやすくいえば強いものに弱く、弱いものに強い、逆ではないのか。
そう思いたくないのだが現実にはそう思える事が多すぎるように思う。
いかに大衆を騙すかが政治の世界であるならばなんらヒトラーの時代と変わっていないのである。
正直者が馬鹿を見るような時代にしてはならないのである。
何が私をここまで駆り立てるのか分からない、少しの好奇心と真実が知りたい、正義感からなのか?
法医学の権威上野先生が「死者の顔を眺めていると声が聞こえてくる」と言っていた、なんとなく分かる気がするのである。
何者かに言わされているように堰を切ったように言葉があふれ出るのである。

 黒塗りの数少ない文章を検証すると(個人情報に関する部分は黒塗りらしい)いくつかの疑問点が浮かぶ。
①事故発生時刻が4時30分となっているが保護者の学校からの着信暦は3時45分だと聞いている。
②バットが学校は木製といっているが被害者は金属バットという意見の食違い。
③病院に自家用車で生徒を連れて行った時系列が書かれていないので対応の遅れがわからない。
(保護者に促されて病院へ行ったと聞いている、救急ではないので待合室で40分近く待たされる)
翌日、市教委に苦情の電話と書かれているが苦情ではなく保険についてどうなっているのか尋ねた電話で苦情の電話ではない。
④2月25日〇〇の父親が〇〇の〇〇氏を伴って市教委へ抗議に出向いた。この〇〇は市P会長の井上氏と推測できるが抗議とは失礼にも程がある、相談にいったのである。
19日学校指導課担当主事に聞けばあれは抗議ではなく相談であった事を確認した。
この黒塗りの断片的な文章を見ているとまるで無茶者が無理難題を学校や市教委に怒鳴り込んでかき回しているようにとれるのである。
驚いた事に2月27日『現時点では治療の必要は認められないと言う内容であった』と報告書には記されているが現在治療中と聞いているがこれはどういう事なのか?
治癒という内容らしいがまだ腫れが残っている状態で話を飛躍させるにも程があると感じた。
この内容に関して被害者保護者は怒り心頭であった。
おそらく被害者の保護者や第三者が閲覧する事など想定外だったと思われる腹立たしい内容である。
 他にもバットが右目付近に当たった部分がクリップ部分と書かれているが断定するには何の根拠もない。
学校側の話しでは最初に当たった生徒が胴の部分で〇〇君にはクリップ部分が頭に当たったと証言したからだと言うのが根拠だそうだがバットの回転をスローモーションで見られるはずがない。
加害者生徒を本人に謝罪後帰らせたと言うのもいかがなものかと思う。
顔面が腫れ上がった顔や心配そうな両親の顔を見ればプロフの書き込み問題はなかったはずだ。
私はそれが本当の教育だと思う。
以上の点をもう一度考慮していただくように19日学校長に申し入れ(今度は抗議)をした。
 不慮の事故は仕方がないが再発防止と連携のまずさは反省すべき課題である。
学校も丸1日経っても市教委に報告しないし、市教委も連絡がストップしていた事も問題だ。
まー大した怪我じゃないのになぜそこまで騒ぐのか、失明もしていないし、死んでもいないではないか、市Pの立場を利用して大層に話しをかき回さないでほしい、教育の素人に口出ししてほしくない・・・もしこうお考えとするならば怒りを越してもの悲しい。
これらの一方的な都合の良い報告がまかり通る事に危険を感じ、再発防止につながらず不信感を持たざるを得ない。
学校内の不慮の事故及び諸問題に対する指導要綱を一刻も早く徹底してほしいものである。
HPを見れば、学校の教育指針『安全指導と安全管理を徹底し、あらゆる教育活動において生徒の安全確保に努める』
WHOセーフコミュニティー認証第一号が泣いている。
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PTAの在り方について [教育関係]

 昨日、単位PTAの引継ぎ会がありました。
今度の新しい会長はパワフルな女性会長です。
1年間では大きな改革はできなかったので新会長と連携を深めながら情報を共有し、実情に即したPTAのあり方について考えて行きたいと思います。
下の文章はPTA会報に寄稿したものです。

「PTAのあり方について」
〇〇中学PTA会長 井上耕作

 早いもので〇〇中学のPTA会長の大役を引き受けてからあっという間に1年が経とうとしています。
おまけに昨年3月の役員改正で亀岡市PTA連絡協議会の会長というさらなる大役も引き受けることになりました。
各部ブロック別代表者の中から平日昼間の会議も多いので自由な時間を作りやすい自営業者や、会議のために仕事を休むことに理解のある公務員が目をつけられました。
なかなか会長が決まりませんでしたので、どこかで誰かが引き受けなければ会議が終わらないので自営業者の私が適任と白羽の矢が立ったのです。
なぜ引き受けたのかと言いますと、今しかできないことを精一杯逃げずにやりきる、俺がやらねば誰がやるという思いからです。 しかし、後に知ったのですが会長校が事務局になり、会議書類の発送や準備、会場の手配等教頭先生も大変で、結果余分な仕事を増やしてしまい大変申し訳なく思っています。
今年度は府PTA会費の値上げの案件もあり、5月の総会では慣れない不備による予算案の不信任で補正を迫られ、おまけに本来身内である理事にも追及されるという前代未聞の波乱の幕開けでしたが、雨降って地固まるでこの経験が後の良い勉強になりました。
会長になれば各種団体の充て職も30を超え年3,4回の会議としても100を軽く超えるのです。
もちろん、全て出席できるわけではありません。
可能な限り8千人の保護者の代表ですので出席するようにしているのですが、そこで得た知識をどこでフィードバック(還元)できるのか、年3回や4回の会議で何ができるのかと言う自責の念にかられるのです。
結局皆さんの代表者にも集まって決めましたという口実と動員のために利用されているのではないかという疑念です。
 昨今PTAのあり方も変わってきており、私の子供時代PTAはお母さん仕事のように思われていました。
働く会社も当時は年功序で、終身雇用の時代から今では派遣労働者が3割以上を超えるようになりました。
母親は家事と子育て、父親は外で稼いでくるのが当たり前の時代から今は母親も父親も働くのが当たり前のような時代になり、母親が働くと言うよりもむしろ生活のために働かざるを得ないのが現状なのです。   
本来こどものためのボランティアであるべきはずのPTAが、余裕をもって活動できる保護者が減少する一方、学校側も本来の授業以外の負担が増え、あまり歓迎されていないのが実情だと思います。
そういう私も活動をすればするほど自分の子供はほったらかしになるというジレンマにかられています。
本来ボランティアと言うのは出来る人が出来る範囲で精一杯やるのがボランティアであり、決して強制されるべきものではないのです。
順番であたった人がやらされていると感じるようでは本末転倒です。
私は自発的に明るく楽しく無理なく出来る範囲でそれぞれの得意な分野を生かしたサークル活動的なあり方が望ましいと思っています。
案内はしても無理な動員はしない、人が集まらないような事業を消化させるためだけの会議や無理な講演会は廃止するなど、もっと子どもたちの顔の見える活動を充実させなければ存在意義が問われると思います。
PTAを縮小させるという事ではなく、誰もが安心して引き受けられるような、そして楽しく子どもたちのためにボランティア活動ができる組織に変える時期に来ていると思います。
 選択と集中の中で本当に必要なものとそうでないものを選別し過去の先例や踏襲を見直し地域と学校と保護者が一体となり『子どもたちが輝いた笑顔で生きられるような世の中にしたい』そう願っているものの一人です。
犯罪を防止するのは分断ではなく協調です。
地域や学校で子どもたちに声を掛け合い、地域・学校・保護者・子供の顔が見えるコミュニティーの形成が犯罪に対する一番の抑止力になります。 まずは笑顔で大人のあいさつからはじめましょう!
最後になりましたが子どもたちに『世の中に失敗はない、すべて成功するための経験であり、挑戦し続ける限り失敗は新たなるスタートだ!』と言う言葉を贈りたいと思います。 
大変しんどい大役でしたが多くの人に助けられ、人のありがたさとコミュニケーションの大切さを知り、自分自身を成長させて頂いた事が何よりのご褒美であったと思います。
つたない会長ではありましたが、1年間どうもありがとうございました。


 考えてみればPTAとは不思議な団体で入会届けも退会届もなく、誰もが気がつけば会員です。
そして講演会で動員がかかれば順番に本部役員が嫌々義務のように順番で出席しているのが実情です。
それぞれ忙しく、たまの休みに拘束されるのは誰しも気分が乗らないのです。
そこでふとした疑問が湧いてくるのです。
PTAとは一体誰のものなのか?今の現状では各種団体から講演会や研究大会で動員がかかれば本部役員が年に数回割り当てで出席しているところがほとんどではないかと思います。
これでは本部役員のための勉強会・研修会のようなもので、本来あるべき姿はPTA会員のすべてのためのものでなければなりません。
講演会や動員があれば全会員に案内をするが無理な動員はかけないのが本来のありかただと思うのです。
興味のあるいける会員が気軽に参加できる、人数が集まらなければ内容に魅力がないのかもしくは用事があり休みがとれないのかどちらかです。
魅力のない講演会にお金をかけて人が集まらなければ見直しをすればよい、報告のための自己満足やアリバイ作りであってはならないのです。

 PTAと学校地域の連携と言葉は美しいのですが8000人の保護者代表というのに他行の学校の情報が何も入ってこなのはPTAが信頼されていないのか、それともオープンにしてみんなで考えようとする私個人に問題があるのか分かりませんが。
キッズ駅伝で来賓で呼ばれたときも名前の読み上げが商工会議所やJCよりもあとの一番最後です。
保護者の子供が主体の行事であっても所詮その程度の扱いです。
不都合な話しは報告がされなかったり(報告は学校の判断にまかせている)正確な情報が公開されないので変な噂話しが一人歩きしてしまうのです。
隠そう隠そうとするから真実が知りたい、言葉が悪いのですが暴きたい気持ちになるのです。
教育界は第三者機関として教育委員会があるのですが現場と連携してうまく機能しているのか?議会とてチェック機能として発揮されているのか・・・。
私のような過去の慣習や先例にとらわれない異端児は嫌われるのかもしれませんが道に迷えば政治は誰のためにあるのか、教育は誰のためにあるのかと言う原点を考えれば答えは一つ、前者は国民のため、後者は子どものためです。
その柱さえぶれていなければなんら恐れる事はないと自分自身に言い聞かせています。
犯罪被害者の光市母子殺人事件に立ち向かった勇気ある本村洋さんは気持ちがなえそうになれば現場に足を運び自分自身を奮い立たせていたそうです。
くさいものに蓋、見てみないふり、誰かがやるだろう、関わったら損・・・私の一番嫌いな言葉です。
教育の現場も減点主義からいずれ近い将来起きたことに対してどう対処したかが評価される時代が必ず来ると思います。
悪に対して毅然とした態度で臨んでもらいたい、一体誰を、何を信じたらよいのかと・・・。
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幻の卒業ライブ [教育関係]

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昨日、私がPTA会長をしている中学の卒業式でした。
実は卒業式の祝辞でメッセージをこめて卒業生に歌で伝えようと「僕の想いが君に届くまで」という曲を作って毎日イメージトレーニングをしながら練習していましたが、急遽横槍が入り中止になりました。

僕の想いが君に届くまで
                作詞・作曲 井上耕作
めぐりゆく季節に ただ流されてきた
流れる川の小枝に ふとしがみついてみたんだ
しびれる手をゆっくりと 土手の石に手をかけ
ふるえる足でゆっくり 岸へ上がったんだ
見上げればそこに 大きな山が天高くそびえ立ってた

高く舞い上がれ 命のつづくかぎり
大地を強く踏みしめ 僕の想いが君に届くまで

山のふもとにたどりつき 一歩ずつ上をめざした
疲れて倒れそうになったら 君を想いだすんだ
孤独と闘いながら 足が棒になっても
心の中の山を 必ず越えるんだ
強い風や転がる石を かわしながら上を目指した

高く舞い上がれ 命のつづくかぎり
大地を強く踏みしめ 僕の想いが君に届くまで

 自分で言うのもなんですがすごくお気に入りのバラードソングなんです。
なぜ心をこめた歌がいけないんでしょうか?
格式ある卒業式って一体何なのでしょうか?
大人になってじっと話しを聞くための修行なのでしょうか?
私にとっての卒業式は卒業生にエールを送り想いを伝える・・・それ以上でもそれ以下でもないのです。
保護者のためでも教師のためでも地域のためでもないのです。
教育とはまた人権とは互いの個性を尊重すると言いながら過去の前例先例に従って踏襲するだけのものなら枠の中からいつまでたっても抜け出せないのです
悔しかったです、怒りがこみ上げてきました。
反対の理由は卒業生を送る会は生徒中心でカジュアルに、式典は格式ある厳粛なものという位置づけらしいのです。
教師全員が反対している、教育長に聞いたら学校の判断に任せる、ふさわしくないのなら他の人を頼めばよい・・・ 私は言いたい、一体今の教育はどっちをむいているのかお上ためなのかそれとも子どもたちのためなのか!?以前小学校でも歌った事がありますが保護者や子どもたちからはなんらクレームがありませんでしたが、一部教育関係者、自治会関係者から大バッシングを受けました。
確かに卒業式は格式あるセレモニーですが想いが伝わらなければ何もならないのです。
小学校の卒業式であるお母さんが式には参加していませんが私のスピーチや歌を自分が見ていたように話してくれました。
確実に子どもの心に伝わっていたのです。
どこに向いて話しをしているのか、誰のための卒業式なのか?
原点をしっかりと見つめなおす必要があります。
自分のコンサートと勘違いしているのではとの声もあったそうですが、歌を聞きもしないで怒りを超えてむなしくなりました。
想いが伝わらなければ何も残りません。
票目当てのパフォーマンスと思われていたのかと思えば私のプライドはひどく傷つきました。

 予定を急遽変更し、当日スピーチで書いたものをうっかり忘れてきてしまい頭の中が真っ白になりましたが13歳で骨の癌にかかりこの世を去った少女の話しをし、命の大切さを訴えました。
簡単に死ぬとか死ねとか今日限り言わないでほしい、なぜなら生きたくても生きられない限りある命のもある事を知ってほしい、死と向き合いながら精一杯生きているのですから・・・。
悪に対して他人事だと思い、見てみないふりをしないでほしい。 自分の信じた道をたとえ10人中9人が間違っていると言っても自分の良心に従い突き進んでほしい、そして何が正しいのか自分の目で確かめてほしいと言いました
最後の決め台詞は「人生に失敗はない、挑戦し続ける限り新たなるスタートだ」
過去は変えられないけど未来は変わる、どうか悔いのない人生を送ってくださいと・・・・
子どもたちや保護者の方にどう伝わったかは分かりませんが、自分の悔しい思いを子どもたちにはしてほしくない、決められたルールの中で自由に伸び伸びと羽ばたいてほしいのです。
大人たちの都合の良い形にはめられることなく人の歩いた道ではなく自分で新しい道を勇気を出して一歩踏み出してほしい、これが私の卒業生に送るメッセージです。

うさばらしに当日夜、京都のライブハウスに幻の卒業ソングを歌ってきました。
自分の思いをステージで語り、客を中学生と見立てて魂をこめて歌えば聴衆も感動してくれました。
私の感覚は間違っていなかったんだと確信した瞬間です。

完全燃焼して帰り道眠くなりコンビニの駐車場で朝を迎えました。
俺は生涯真実を伝える反逆者でありたい
妙な事に叩かれれば叩かれるほどエネルギーに変わります。
私の大好きなブルースリーの哲学の中にdo'nt think feel!(考えるな、感じろ)と言うフレーズがあります。
過去の踏襲を考えるより今感じる感性を大切にしたいと思います。
井上耕作心はまだまだ青春です!
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携帯電話中毒 [教育関係]

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携帯電話は便利なツール(道具)です。
 この小さい電話一つでテレビ、メール、インターネット、カメラ、動画撮影、ショッピング、音楽・・・それ以外にも数え切れないほど色々な機能がついています。
わたしなんぞ、ものぐさで説明書の分厚い本を読んだことありませんが改めてパラパラ見ていますと驚くような機能がついていて感動する事もあります。
たまに自宅に忘れる事もありますが、最初は落ち着かないのですがしばらくするとこんなにも1日ゆったりした気分になれるのかと思う事もあります。
それほど日常頼り切っているのです。
携帯の前はポケベルが流行りまして歌で「ポケベルが鳴らなくて」と言う歌もあったな~。

 でも、何が一番弊害かといいますと相手の顔を見て話さなくなった、感情が見えないのです。
それに簡単に約束を破ったり言いにくい事がメール一つで済まされるのです。
「ごめん、遅れる」これで済むのですからこんな気楽なものはありません。
電話がなければ必死で遅れないように、そして遅れたら顔を見て謝らなければならないので時間より早く家を出ます。
友人同士のコミュニケーションも最近の若者は携帯任せ、文科省の調べによりますと小六の25パーセント、中2で46パーセント、高2になれば96パーセントが携帯を所持しているそうです。
何が弊害かといいますと一方的な情報の垂れ流し、顔の見えない相手でうそもつき放題。
携帯を通したプロフの書き込みによるいじめも横行しています。
名前を書かなければ相手が特定できないと思いきや、警察や携帯を管理しているプロバイダーはいくらでも発信先を特定する事ができるのです。
しかし、何よりの弊害は食事中や風呂、授業中いたるところでメールや音楽を聴いて親子のコミュニケーションの場が奪われてしまうのです。
大人は忙しいので要件を携帯で済ませようとしますが、子どもはすぐに返事をしなければ嫌われると思い一日に何十回ものやりとりをして延々と短い文章のやり取りが続いて睡眠不足になり、それが学力低下につながっているのです。

 あ~もうこんな生活もう嫌、テレビも電話もないけどにウオッシュレット完備のコンビニがある無人島で暮らしたい。
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教育界もミスを処分しない体制に [教育関係]

 今朝テレビニュースを見ていますと全日空が社内規定でミスをありのまま報告しやすいように、個人の責任追及より再発防止に努めることに重点を置くそうです。
JR西日本の脱線事故も厳しい処分を恐れて真実がなかなか明らかにされませんでした。
このような教訓から時代の流れはミスや事故が起きたことよりなぜおきたのかを分析して、そして再発防止の対策を打ち出した方が評価される時代になると思います。
すでに、欧米諸国では取り入れられており日本航空でもすでに取り入れています。
教育関係ではとりわけ遅れていると思います。
いじめや不登校、自殺の報告がきわめて少なく学校間の学力テストの評価を上げるのに必死です。
報告がない=何もなかったではいつまでたっても実態が見えてこないのです。
風通しのよい改革を望みます。
ただし、故意によるもの、職務怠慢によるものは従来通りの処分の対象になるのであしからず。
報告義務違反や事実の捏造は重い処分にするべきだと思います。

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