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こういう事件は悲しくてやりきれないのです [お父さんのワイドショー]

(この曲を聴きながら読んでいただけると一層効果的です)

大阪のラブホテルで女子高生の殺人事件。
不審な男の通報で、体内から薬物が検出されたそうです。
その不審な男を取り逃がしてしまい、またもや警察も失態です。
男とは出会い系サイトで知り合ったのだとか・・・
昔の私ならアホな女がアホな男に騙された程度にしか考えなかったのですが今は違います。
アホな女ではなく寂しく心に満たされない子ども達をなぜ救うことができなかったのか大人として責任を感じてしまうのです。
家が心地よくこもりっきりも困るのですが、家庭や学校でも真剣に叱ることはなく友人との人間関係も希薄になり、怒る人は多くとも叱る人は少なくなりました。
私は「怒る」と「叱る」は意味が違うと思います。
「怒る」は自らのイライラや感情で相手を責める、「叱る」は相手を思いやる気持ちで自分が悪者になってでも相手に気がついて欲しいという気持ちで感情的になり話すことです。
どちらも大きな声で一見同じにみ見えますが、実は中身が全く違います。
「叱る」が進化したものは「諭す」でもっと相手に誤解を与えないようにおだやかに話します。
そして「諭す」が進化すれば「悟り」になるのです。

この際、はっきりといいます、殺された人より殺した奴が100%悪い
どうか、皆さん出会い系サイトで知り合い、薬物を飲まされた少女を悪く言わないでください。
救ってあげられなかた大人に責任があると少しでも感じて頂けたら嬉しいです。
これと同じで「家に鍵をかけ忘れたから泥棒に入られたんや」とか、犯罪被害者に「頑張りや」とか言わないでください。
ただでさえ傷ついた心を慰めるのではなく、さらに傷を深めるだけなのです。
安易な頷きではなく、心から話を聴くようにしましょう。
責任感のない自分の意見を押し付けるよりそのほうがよっぽどましなのです。

亀岡市でも9月定例会で「南丹地域の子ども達は比較的落ち着いている」言う教育長の答弁でしたが、現実はとんでもない、都市計画審議会の会議の中で亀岡警察の方が京都府下で逮捕できない14歳未満の犯罪率が亀岡はダントツで亀岡市も対策を考えて欲しいとの意見がありました。
その多くは深夜徘徊や大手スーパーでのたむろです。
排除したり自宅へ返すのは一時しのぎで根本的な解決にはならないのです。
現状を把握し、こどもたちの居場所作り、また親も含めた教育が必要なのかもしれません。
もちろん、かく言う私も含めてですが。

結局、携帯やネットで顔の見えないつながりに救いを求めてしまうところに落とし穴があるのです。
虚像の世界と現実の世界が混濁しています。
顔を見て話す時代に戻さねばなりません。
地域の顔の見えるコミュニケーションが足らないのではないかと思います。
家族や学校、会社ですら顔の見えるコミュニケーションができているのでしょうか。
誰もができるコミュニケーション、まず笑顔であいさつ、これなら誰でもできるはずです。
自分に出来ることを今日から、いや今から始めようではありませんか?
そして、勇気を出して寂しそうな子どもたちや悪ぶっている子ども達を見ればに話しかけようではありませんか。
今は絶滅危惧種になってしまったお茶目な頑固オヤジになりたいと思います。

日本は犯罪者や殺人者の罪が軽すぎると思います。
世界では強姦すれば即死刑になる国だってあるんですから。
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松野つよし

初コメント失礼します
家族、友人、地域のコミュニケーション不足ってのはいったいいつからなんでしょうね
無関心な大人の責任でしょうか?
このような社会を作った政治家の責任でしょうか?
それともコミュニケーションを自分から取らない責任でしょうか?
あげたらきりがないですね

少しずつコミュニケーションを取っていかないといけませんね
まずは挨拶ですね

あいさつは人の心を和ませる

昔、地元の小学校の標語でした
by 松野つよし (2011-10-28 18:52) 

King

その亀岡の犯罪率は再犯の子も多いのでしょうか?もしそうなら、しっかりと対応してあげないといけません。人間、明日から変わる・・・なんてこと相当難しいですが、少しづつでもつきあってやらないといけません。

震災で解散した暴走族の子らも話題になってましたが、生まれ持って悪いやつなど誰1人いないと思っています。どうつきあってあげるか?またそれらに巻き込まれないように、どう守ってあげるのか考えていかなければなりませんね。

大人から子供だけでなく、子供にも仲間を守るという教育をしてあげないといけないと思ってます。

私の友達の話ですが、中学の頃、大津から尼崎に引っ越した矢先、目をつけられ暴走族にも巻き込まれ、こき使われ、悪いこともいっぱいして警察に随分お世話になったそうです。

私が出会った18才の頃には、名門高校で生徒会長をしていたとのことで、悪いことしてたなんて、大げさいうとるやろ?と思うほど見た目は好青年なんですが、その当時の話を聞くと、毎日が地獄あったし、悪さをせんと苛められるし、また後輩にも同じように苛めをしてしまったそうです。

何よりも親だけでなく、大人しいけど勇気ある友達が救ってくれた事が大きくて、なんとか中学生活を送れたそうです。もしあの時その友人が救ってくれなければ、もう死んでたかもしれんと語ってます。非行から抜け出さなあかんとか言うけど、ほとんどは皆怖くて抜け出せへん。弱いから集まってるわけやで…。

さびしい子は目をみたらわかります。裏社会の末端も目をつけます。悪循環をどう断ち切ってやるか…。

もう1つは褒めてやると、叱る事と両方やってやらんといけませんね。大人社会でも、子供でもそこは同じですね。

このネット社会という物理的なものへの否定はしませんが、この顔が見えない世界だからこそ、優しさだとか、配慮が必要だと思っています。ズケズケいいたい時ほど、目をみて会話すべきなのに、最近は逆(ネットでズケズケ、Face To Faceになるとモノを申さない)になりつつあるところがいけません。

2chとか見るのも嫌なので、閲覧すらしないですが、なかなか井上さんのブログ発信なんてのは、便利さを通してより良い社会を作るために、うまく使われている良い例だと思います。

アナログ人間とかおっしゃいますが、実は使い方を一番よく理解した方だなぁと関心しております。
by King (2011-10-28 20:10) 

kochan

コメントありがとうございます。
コミュニケーション不足は昭和から平成にかけて急速に低下したと思います。
コンビニやレジでのバーコード。
もの言わず時代の到来です。
人間から機械へ、義理人情、人を育てるから成果主義に移行した辺りからかなと思います。
会社の慰安旅行もなくなりました。
たまの休みに嫌な上司に付き合うのがうっとおしい社員もいるでしょう。
仲の良い同じ考え、目的を持つもの同士のコミュニケーションは得意です。
携帯やパソコンは個の時代を作りました。
先輩を立てるより、馬鹿にする時代、先生が尊敬に値しない時代。
信頼関係が揺らいでいます。
子どもの教育も見知らぬ人に話をするなです。
開いて守るから閉ざして守る時代になりました。

地位や名誉や学歴などの外部的な要因によって幸せが得られるのではなく自分自身の心のあり方の問題です。
外的要因は不安定でいつまでたっても不満足なのです。
ネット社会が全て悪いとは言いません。
上手に付き合いし、自分の目で確かめる事が分かっている人はOKですが鵜呑みに信じてしまう素直な人が落とし穴にハマるのです。
騙されやすい人は純粋な人が多いように思います。

最大の悪は無関心です。
何事にも関心を持ち常に自分に何ができるだろう、自分だったらどうするだろうと当事者意識を持つことが大切です。
私もしんどい選挙を通じて未だに人間修行をさせていただいてます。
ほんとうにありがたいのです。
騙す人間もいれば助けてくれる人間もいます。
敵と思っていた人が味方であったり、味方だと思っていた人が敵であったりするから面白いのです。

自分にできる、背伸びしないで出来ることから始めれば良いと思います。
私は1日1人は知らない人と会話するようにしています。
まずは自分の半径5メートル以内の人をハッピーにさせるように心がけましょう。
今日も友人に約束の時間を破られましたが怒らないようにしました。
いきなり「何で遅れたんや」と怖い顔して言っても何の解決にもなりません。
それより「今日は忙しかったんか」と笑顔で尋ねる方が効果的であると思います。

若い頃ライブハウスでぺちゃくちゃしゃべっている客に「人の歌が黙って聞けないのなら帰れ」と言って会場を重苦しい雰囲気にしたことがあります。
今なら「最後まで下手くそのヤジもなく皆さん聴いて頂いてありがとうございます」というほうがよっぽど効果的なのです。
「笑顔で挨拶」ならだれでもできると思います。

責任は社会のせいでも政治家のせいでも自分のせいでもありません。
全て大人のせいとも言い切れませんが、少なくとも人生の先輩である大人が若い人に経験により得た知識を伝えねばと思います。
by kochan (2011-10-29 00:11) 

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