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時代は変わるもんね [おっちゃんのぼやき]

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昔、寺内貫太郎一家という下町の石屋の頑固おやじのテレビドラマが流行りました。
姑の嫁いびりのテレビ番組も流行ったな~。
尾崎豊もヤンキーがいなくなった今の時代では理解しずらいと思います。
15の夜の「盗んだバイクで走り出す[るんるん]」・・・バイクは盗んだらあかんやろ、バイク王で安いの買えよ!
「100円玉で買える幸せ熱い缶コーヒー握りしめ[るんるん]」・・・今はコーヒー120円やぞ!
卒業の「夜の校舎窓ガラス壊してあるいた[るんるん]」・・・学校は保険に入ってるから大丈夫!
「この支配からの卒業[るんるん]」・・・そんなにカンカンになるなよ、ゆるーく考えようぜ!
そんなツッコミも入れたくなるのです。

インターネットや携帯電話、コンビニの時代になって確かに情報は洪水のように入ってきますし24時間店は開いているし、会話をしなくてもなんでも安く買える時代になりました。
果たしてそれが幸せなのか?
昭和、平成と半世紀生きてきた私はそう思うのです。
気がつけば頑固おやじは絶滅危惧種になり、関わったら損の考えが蔓延し、今や姑が嫁をいびるどころか嫁が姑をいびる時代になり、E・YAZAWAを聞きながらカーステの音量ガンガンに鳴らし木屋町で窓から右手をぶらぶらさせながらのナンパや(えらいリアルな表現、俺じゃないよ)、ボンタンのタックの数を競い合った時代は過ぎてしまいました。

なんかね、これでいいのかと思うのです。
私はたまに接骨院や健康器具販売の椅子に座って人と会話しています。
そこで色々現場の情報を仕入れたり今何が求められいるのか考えています。
椅子に座るお年寄りや子育て主婦は単なる健康になりたいだけでは解釈できない場合もあります。
私のように会話しながら情報を仕入れる、そしてついでに健康になりたい人は少ないのかもしれません。

そこで気がついたのですが、年配者や主婦は多いのですが若い男は少ないですね。
もちろん、日中仕事があったり健康なので必要性を感じないのかもしれません。
私の趣味は人間ウオッチングですが、そこから見えてくること学ぶことがあります。
「今時、こんな高い健康器具買わないよね、行ったら買わされるんじゃない?」
販売員は健康になるしくみは説明しますが、すぐに買ってくれとは言いません。
共通しているのは器具の指導員さんは来る人の顔や名前を覚えていて来る人の名前をどんどん出します。
これにより帰属意識が生まれるのです。

つまり、健康器具販売の箱の中にはひとつのコミュニティーが生まれているのです。
名前を呼ばれることにより個の存在感が認められ心地が良いのです。
「なんで毎日あんなに底抜けで明るくいられるのか、疲れないのか、あほちゃうか」
そんな目で見ていた私ですが最近では違います。
「あの作られた元気や笑顔を毎日持続させるのはたいしたもんやな」そう感じるようになりました。
ガードマンのおっちゃん(私もおっちゃんですが)見ていましても「毎日立ちっぱなしで足大丈夫やろか?」雨降りなんか「風邪ひかへんやろか」とか思ってしまうのです。
自分に出来ないことが出来る人間は心のどこかで尊敬してしまいます。

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結論、みんな寂しいのかもしれません。
ネット社会で取り残されたり、夫婦でもマンネリになったり、しゃべり相手がないと寂しい・・。
心から信頼できる人ってそう誰でも多くないと思います。
1116人の人が名前を書いて頂いた私でさえ両手で足りるのです。
これからは人の心と心を結ぶビジネス、機械ができない部分を補完する産業が流行るのではないかと感じています。
ネットを扱える人も結局孤独で寂しいと思うのです。
ブログは自己満足の世界、ツイッター、ミクシーは同じような考えの連中とゆるい連帯感のなかでゆらゆら現実世界から逃避しているようにさえ見えます(もちろん、全てではありませんが)
その寂しさを悪用して悪の世界に導く輩は絶対に許せません。

私が目指す世界はユビキタス社会と真逆の世界。
つまり昭和の頑固親父やヤンキーの時代、あの時代の方がエネルギッシュである意味健康的でした。
会話を楽しんでモノが買える時代、頑固親父が安心して叱れる時代。
今の学校を見ていても頂点が子どもではない気がしてならないのです。
頂点を子どもにして保護者や教師、地域が支えるようにしなければおかしくなります。
せめて体育の先生には悪いことをしたらどつく権限があっても良いのではとさえ思うのです。

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ことなかれ主義、見てみないふりをする社会、夢が持てずに簡単にあきらめてしまう社会をぶち壊したいのです。
私の人格形成に大変大きな影響を与えたのはEXPO70大阪万博でした。
テーマは「人類の進歩と調和」アポロが月へ飛び、近未来を予想させるファーストフード、ロボット(アンドロイド)、動く歩道にエイリアンのような外国人、なんといっても太陽の塔のでかさはインパクトがありました。
天井を突き抜けてそびえたつさまは日本人の魂と躍動を感じたのです。
時の総理は田中角栄で、列島改造論のい土地神話や株長者続出バブルの全盛期も体験しました。

今はコンビにでバーコードにより会話がなくなり、夜になればネットで顔の見えない見知らぬものと会話をし、昼間はスマートフォンに電子書籍・・・実につまらないのです。
すっかり、時代に取り残されてぼやいていますが昭和のぬくもりを一人でも多くの人に伝えたい・・・
夢やユーモアがあり互いの違った価値を認め合える時代にしたい、そういう思いで残された人生を過ごしたいと思います。
早く若いもんにバトンタッチしなければ、偉そうにいうても体が言うことききまへん。
残された時間はそう多くないと感じています。
まずは身近なわが子にその熱い思いを伝えたいと思います。
あの頃は良かったな~なんて過去を振り返る自分も歳いったな~と思います。
時々テレビも携帯もない世界にどっぷりつかりたいと思うことがあります。

今朝は結構涼しいですね。
今日で6月定例会が閉会を迎えます。
居眠りしないように目がシャキで頑張ります!
なんて見知らぬ人に語りかけている自分もまた寂しい人間なのかもしれません(笑)
以上おっさんのぼやきでした、最後まで長文お付き合いいただき誠にありがとうございました(えらい謙虚やな~どうしたんや)(笑)
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コメント 4

zzreri

ヤンキーもそれはそれで在りだと思います。いつまでもそのままの人は居ませんし、色々と考えさせられ反省させられ立派な大人になっています。反論も多々有るでしょうが.....
by zzreri (2011-06-20 08:16) 

kochan

実はそのヤンキーと言われてる友人の多くは車屋さんや建設業の社長や専務になったり社会で大活躍しているんですね。
心が温かいというか、人の気持ちをつかんで動かすのが上手いんです。
時には厳しくもね(笑)
みな喧嘩や先生に殴られたり、殴ったりした連中。
私はヤンキーにはなりきれずに、お笑いやユーモアでイジメを切り抜けてきましたが、もしあの当時に戻れるとしたら迷わずヤンキーになりたいと思います。

by kochan (2011-06-20 08:22) 

King

右と左の思想も多様化したように、ヤンキーが減ったというより、ヤンキーも多様化しすぎてわからなくなったのも1つありますよね。ヤンキー or 非ヤンキー だっのが、アメカジのチーマーやら、ヒップホップ系やらギャル男的なのやら、とにかく増えたんですね。

反抗はええんですが、最近怖いのは親がヤンキー教育して、子供はええ子に育ってるというパターン。

美容室でヤンキー母親の自慢話を聞いてずっこけそうになりました。
「うちの子、〇〇中の〇〇にやられたそうやで、先輩の△△がやり返してくれたんやぁ。△△の親に礼いいにいってなぁ~。」

ヤンキー社会に親が顔突っ込んで、ヤンキーもマザコン化して、何がなんやらさっぱりわからず…。

間違いだらけで、その子供はどこから修正してやっていいのか・・・。
by King (2011-06-20 23:29) 

kochan

私の知人でこどものイジメ問題で学校に乗り込み、やった生徒の机を蹴り飛ばして説教した親がいます。
何年かかっても学校が解決できなかった問題を一気に解決したそうです。

やはり、怖い存在が必要なのです。
先生もなめられていますからね。
ただ、この親は感情的になったわけではなく、いじめた子どもに「集団でやらずにサシで勝負せんかい!陰湿な事をするな」という事を教えたら理解してくれたそうな。

昔は頑固おやじや、先生に殴られたものです。
昔は良かったな~なんて過去を振り返らず、今を生き抜き未来に向かって納得できる人生、悔いのない人生をおくりたいと思います。

俺の人生これでいいのだと言える日まで・・・


by kochan (2011-06-21 07:47) 

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