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止まらないいじめ自殺 [教育関係]

 最近鳴りを潜めていたいじめ自殺ですが、表に出るかでないかで一向に治まる気配がありません。
09年1月19日はさいたまの女子中学生が携帯プロフの誹謗中傷書き込みによる自殺、調べた結果2人のクラスメートが書き込みを認めたそうです。
身内に裏切られた思いは思春期の女子生徒にとっては相当なショックで不登校になったそうです。
後に書き込みをした生徒二人と担任と学年主任が謝罪に訪れたそうですが、形式的なものでそれで学校側は終わったと思っていたのでしょう。
しかし、本人は周囲からは好奇の目にさらされ2次的な被害に遭い針のむしろだったそうです。
そして、同じく19日に今度は福岡の中学の男子生徒がマンションから飛び降り自殺、担任から体罰を受けていた事が後に判明。
ともに問題なのは学校や教育委員会の対応です。
素直になかなか事実を認めない体質と認識の甘さにあります。
前者はいじめた子どもがあやまったらそれで責任が済んだという認識、そして後者は両親が息子が死にたいと言うので学校に連絡、担任が謝罪し、校長も『行き過ぎた指導をしないように」と担任に注意したそうです。
両者に共通していることは責任を学校がなかなか事実を認めなく教育委員会に報告していないことです。
つまり、風通しが悪いのです。

 教師同士のコミュニケーションの欠如、校長教頭の権限の弱体化、報告すれば自らの出世に響くので身内同士のかばい合いにこそ問題があるのです。
 PTA活動に携わりここに書けないような体験を見聞きしてきました。
決して人事ではありません、これらの事件は氷山の一角に過ぎないのです。
報告がなければうまく言っていると言う体質を改めなければならないと私も議会で訴えてきました。
私は教師の体罰が必ず悪いとは思いませんが、生徒に感情的になって怒るのではなくどうしてそういう行動を取ったのか心で聞かなければなりません。
そして、相手が心から猛省して心から詫びてこそスタートに立てるのです。
教師にその心がなければ悲惨です。
私は何度も言っていますが、子どもの嫌いな教師は教育以前の問題で、点数だけの安定した職業で教師になられたら子どもを預ける親はええ迷惑なのです。
ほんの一握りの心無い教師や生徒を支えるコミュニティーがない事こそ問題だと思います。
構造改革で市場原理に任せて自己責任の競争社会のゆがみが日本人のもっとも誇りだった心をも蝕んでしまいました。

 いじめや教師の暴力は私の子どもの頃からありました。
体育の先生に殴られるのは当たり前、よく喧嘩もしました。
でも、今みたいに陰湿ではなく悪いことをしたからしかられたと言う愛のムチだと妙に納得していたのです。
喧嘩も殴り合いはしても刃物はダメという暗黙のルールもあり、サル山のように負ければ従いそれなりの秩序があったのです。
CIMG5250のコピー.jpg
これは、年初の小学生の頃の卒業文集で書いた私の作文です。
授業中無駄口が多くてクラスのみんなの前で前髪を切られて坊ちゃん刈りにされたり、教科書で頭を殴られたりむちゃくちゃされましたけど小学生ながらよい勉強になったと結んでいます。
これは書きとめておかなければいかんと思ったのでしょう。
不思議と体罰を受けると言うよりもみんなの前で目立てて得をした気分で、家に帰って意気揚々と両親に話すと「あほやな~はよ散髪いっといで」で済んでしまったのです。
職員室に入るのも探検をするような気分で好奇心が旺盛だったので授業をしていないときの先生の姿をウオッチングしたり、特別に話ができてこれまた得をしたような気分で反省したふりをしてその場をしのぐ術を手に入れたのです。

 この我関せずは後の選挙や市議会で大きく実践として役に立ちました。
選挙中の誹謗中傷や無言電話も聞き流し、叩かれても叩かれても平気で、いじめられて不幸のヒロインを演じ自分にプラスにならんかいな~としたたかになったのです。
私のような性格はまれな性格なんでしょうね、何でもプラスに考えてしまうのです。
結局は世の中いろんな人によって成り立っている、敵もいたら味方もいる、みんなに好かれようと思うからおかしくなるのです。
周りに適当に合わせながら自分と言うものをしっかりと持ち、まずは自分が大好きになることです。
人間は基本的には孤独なのです、自分が好きでこそ人も愛せるのです。
相手のペースで心がかき回される事がないようにもっと自分を大切にしてほしいと今の若い人たちに言いたいと思います。
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