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平成の大合併により地方議員も受難の時代 [日本の政治、世界の政治]

明治、昭和、平成と時代が変わる毎に大合併が行われてきました。
亀岡市も明治2年に伊勢の亀山と混同を避けるために亀岡と名前を変え、明治12年に南桑田郡、北桑田郡に分轄され京都府の管轄となりました。
桑田郡と言うのは昔、蚕の養殖が盛んで桑の木が多く生い茂っていた事に由来していると聞いています。
明治22年町村制施行に伴い、南桑田郡が1町17ヶ村となり、昭和30年1月に町村合併促進法により1郡1市の構想により1町15ヶ村を持って亀岡市が誕生しました。
当時の世帯数と人口は7628世帯、38307人だったそうです(市制のあらまし参照)

合併にはそれぞれに色々な理由がありますが、平成の大合併の主たる理由は市町村の財政悪化です。
市町村の借金を合併による効率化で、支出を減らすため国が財政上の特典付きの合併特例法を提示し合併により、市町村の行財政基盤の強化を図り、住民に身近な市町村が、より充実したサービスを提供し、住みやすいまちづくりを展開できるとし総務省が推進しました。
その結果、1999年に3232(670市、1994町、568村) あった市町村数は、2010年3月末で1727(783市、802町、192村)に減少しました。
合併特例債とは合併後の地域振興や旧地域間の格差是正などの名目で起債できる地方債のことで、合併年度及びこれに続く10カ年度に限り、その財源として借り入れることができる地方債の事です。
市町村建設計画に基づく事業のうち、特に必要と認められる事業に限り使うことができるとされ、事業費の95%に充当でき、元利償還の7割は交付税措置となるのです。
2005年度末までの合併特例法で制度化された合併旧法下のみの措置で、合併新法では廃止になりました。

合併後のメリットは特例債の他に広域的な街づくりにより行財政の効率化が図れる反面、デメリットとして広範囲のためきめ細かな住民の声が届きにくくなったり、旧地域の伝統や文化、歴史的な地名の喪失などがあげられます。
果たして良かったのか悪かったのか評価されるのはこれからだと思います。
地方議員も合併に伴い議員を辞職する人が増え、年金受給者が増大に反して支える議員数が大幅に減少し、一気に財政状況が悪化し、この6月1日をもって地方議会議員の年金制度を廃止することが閣議決定されました。
この件につきましてはまた後に詳しく述べたいと思います。
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