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自治基本条例市民会議 [日本の政治、世界の政治]

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(茨木市(仮)自治基本条例市民検討会議の募集のお知らせ)
亀岡市では昨年議会基本条例が策定され議会の説明責任を果たす議会報告会等を行っているところですが、それとは別に自治基本条例を設置している自治体が増えてきました。
議員全てが亀岡市全体の森を見渡す市民の代表者であれば問題がないのですが、現実には次も当選するための地元要望に偏った質問になったり、政党の方針に沿った質問や「これは市民感覚からおかしいで」と思うことがあっても支持者や票を減らす可能性がある発言は控えてしまうのが実情です。
一番無難なのがいわゆる顔売りで、あちこちの集会やセレモニーに顔を出し、身なりも清潔にきちっとしていれば頑張っていると市民に思ってもらえるのでついついそちらのほうに力を入れてしまうのです。
「そんな議員いらんやないか!」と言われないように身近に目に見える活動をしなければと言う強い思いと危機感から議会基本条例が生まれました。
確かに議会のない日は遊んでいるのかと思われている市民もたくさんいると思います。
かくいう私も議員になる前はそう思っていました。
正直言いまして議員は年数や質問に関係なく定められた会議に出席をすれば定められた報酬がもらえます。
しかし、質問を考えたり、調査したり市民の相談にのったり自分の活動報告をして回ったり、地域の付き合いや冠婚葬祭、勉強会や視察・・・
つまり、やりかけたらきりがなく、次の当選を考えずになにもしなかったら時間的にいくらでも余裕があります。
自己管理ができなかったら先生先生と呼ばれて調子こいていたら落選後や辞職した後はボロボロの人間になってしまいます。

話を戻しますが、自治基本条例とは現在の社会を取り巻く環境の変化や地方分権の進行により、地方自治体の主体的な行政運営が強く求められるようになってきている反面、市民ニーズはますます多様化が進んでいます。
かゆいところに手が届かない従来型の行政が直接に対応するサービスだけでは補えない部分もできています。
まちづくりや公的な活動に対して、市民自らが主体となって公的サービスに関わり、自分たちの住むまちを自分たちでつくって行こうという市民と行政が協働したまちづくりを進める上でめざすべき将来像の設定や、相互の役割分担の考え方等を明らかにすることが求められ自治基本条例の策定の必要性が生まれました。
市民会議を通じて市長に条例提案をして行く活動がより市民感覚に近い市政運営がなされる可能性があるのです。

ただ、問題なのはメンバーが偏った団体の代表者や市の関係者や御用学者であれば意味が ありませんし、何でも要求ばかりすればかえって逆効果、財政状況や予算的な措置も考えなければなりません(ばらまき政策は結局市民負担にはねかえるのです)
ポイントはかゆいところに手が届く政策と最小の経費で最大の効果をあげられる提案ができれば意義があると思うのです。
茨木市のように無作為で抽選して選んでそれで決まれば普通に暮らす市民の声が反映されてよりよい身近な市政運営になろうかと思います。
報酬1日9000円・・・これなら集まるかも?

問題なのはあかんと言う人は多いのですが、ほな俺がやると実際手をあげる人の少ないこと・・・
多くの審議会も同じメンバーがぐるぐる回っているケースも結構あるように思います。
市政報告会も広報が足りないのかもしれませんが近隣の自治会を通して何百枚もビラまきしても10名そこそこの集まりしかないのは、堅苦しい話と思う先入観があるのか時間帯が悪いのか難しい問題です。
自治会の総会やptaの総会でも一般住民や、一般会員があまり参加しない状況と似ています。

みなさんはどう思いますか?
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ソニックマイヅル

結果出してなんぼかなと思いました。舞鶴の市議会議員さんにも話をしていきます。何のため誰の為?どう動いて結果だし、報告する。
突き進む中で壁はあると思います。その壁を自らの力で乗り越えてくれる舞鶴の市議会議員さんが増えてくれたら良いなと思います。^^;
by ソニックマイヅル (2011-05-19 00:57) 

kochan

ソニックマイズルさん

コメントありがとうございます。
実はヒントはアンパンマンのマーチの歌の中にあります。
「何のために生まれて何をして生きるのか、答えられらないままに終わるのはいやだ」実はこの歌詞の意味は非常に深いのです。
そして正義とは簡単な事他人にパンを与えることでよいのです。
自ら元気をなくしてもまた顔を作ってくれるジャムおじさんがいる、バイキンマンもいたずらはしますが決して相手を殺したりしないのです。
子供たちに安心して見せられる漫画、だからこそ長い間続いているのです。
実はやなせたかしさんは戦争体験者であまり知られていませんが「手のひらを太陽に」の作詞者でもあります。
この質問にズバッと答えたのがバカボンのパパの「これでいいのだ」喜びも悲しみもすべて受け入れることによって楽になり次の一歩が生まれるのです。
赤塚さんの過去は戦争で妹を亡くし、舞鶴港から引き上げて帰ってこられました。
確か漫画も寄贈しているはずです。
アンパンマン同様平和主義者で、おしつける平和ではなくユーモアのある平和主義で尊敬しています。

話はもどりますが、巷で議員不要論や定数大幅削減に報酬カットが改革だと誤解している国民市民が多すぎる。
実はそうではなく私に言わせれば活動が伝わっていないのと特定団体や推薦や政党におんぶにだっこでしか当選できないシステムに問題があるのです。
結論を言えば国民市民の意識改革をしなければ何も変わらないのです。
北朝鮮だって日本を脅かす悪の国家とイメージされていますが、反面平和ボケの日本を目覚めさせてくれる有難い国と思えば善であるし、また悪の国を利用して金儲けをたくらむ国があるのも事実。
つまり、善と悪は隣りあわせなのです。
原子力だってそうです、クリーンエネルギーと放射能汚染は隣り合わせなのです。
当たり前のことが当たり前の世の中になれば何も私は立候補する意味がありません。
真実とは何かを伝えたい、そして一緒に考えて行動したいのです。
パフォーマンスばかりが目に付いて魂の叫びが中々伝わらない、ストレートに伝えられないので苦労しますが、与えられた使命を明るく楽しく元気に全うしたいと思います。
そして、次の世代へバトンタッチしたいと思うのです。
今の日本は場渡り的で連携がなく、うまく次の世代を育てていないところに問題があると思います。
選挙にしても投票にいかない(これという人物が見当たらない)若い世代や投票権のない子供たちに夢のある、夢の持てる世の中にするのが大人の責任だと思うのです。
これでいいのだ。
by kochan (2011-05-19 02:30) 

ソニックマイヅル

おはようございます。

国民市民の意識改革

>>非常に重要だと思います。(私もそうです・・・反省です)^^;汗
by ソニックマイヅル (2011-05-19 09:00) 

亀岡市民2号

具体的施策を議論する市民会議、アイルランドでは金融危機後の混乱で、このままやったらアカンと見直されて、活発な議論がなされているそうですね。

美山町にあったような振興会も、ある種の市民会議でしょうね。

問題は、権限を付与された市民会議が機能し始めたとき、議会の存在意義は?とより問われるでしょうし、議会がその問いに真正面から向き合えるか、かなと思います。

住民投票など、勝手なときだけ、議会制民主主義を否定するもの、と言ってると、そりゃ市民から議員なんぞいらん、と言われるでしょうねぇ。。。期待してますよ!
by 亀岡市民2号 (2011-05-19 10:37) 

kochan

ソニックマイズルさん亀岡市民2号さんコメントありがとうございます!

国民、市民が地域の付き合い、顔出しより何を提案してどう変えたかを重視し、議員は伝える努力をし(ブログや自分自身の議会報告、時には訪問等)また市民も投票したらしまいではなく誰がどのような活動をしているのか知ろうとする事も大切です。
お互い個人的な見返りを求めない関係が望ましいと思っています。
また、顔を見せなければ裏切られた騙されたと言う意識を変えてほしいのです。
静かに応援し、考えが違えば次から応援しなかったら(投票しなければ)良いのです。

私の理想はいろんな世代や職業、金持ちビンボー、学歴あるなし、様々ななジャンルの市民が集まってこそ市民の平均点が出るのではないでしょうか。
それと何でもかんでも多数決で決めてそれが民主主義といえるのかどうかは疑問です。
多数派が正しいとは限らないのです。
色々な意見をぶつかり合わせて色々な時代に即した答えを考える。
変えてはならない部分と変えなければならない部分をきっちりと仕分けしなければなりません。
権限を付与された市民会議が機能し始めたとき、議会の存在意義が問われても良いと思っています。
有能な職員、有能な市民がしっかりと市政運営の舵取りができればそれはそれでアリだと思うのです。
議員は特定団体や地域の利益代表者であってはなりません。
存在意義が問われるような議員にならないように活動したいと思います。
by kochan (2011-05-19 15:01) 

亀岡市民2号

そもそも、社会が多様であればあるほど、課題が複雑なほど、投票(多数決)は機能しなくなる、政治学のいろはの話であり、だからこそ議会の存在する意味があるわけです。

中道派が多数を占めるのも当然の帰結で、実は多数と思ってる中道派も、社会の多数派ではないのです。って理屈を大学の政治学の入門編で習いました。

だからこそそうではない少数意見を代表する議員の存在が意味があるわけです。まあ、難しい話ですが、要は頑張ってくださいね、ってことです(笑)

で、ツイッターはしはらへんのですか?面白いですよ~
by 亀岡市民2号 (2011-05-20 19:10) 

kochan

亀岡市民2号さん

酒井議員がアシスタントのツイッター講座に参加しましたが私がツイッターをやらない理由は・・・
①サービス精神旺盛からいらんことつぶやいてしましそうだから
②返事が来るとついつい返事せねばと言う気持ちになって落ち着かない気がする(24時間のコンビニの店長の気持ち)
③流行に逆らいたいという反逆者精神VAGABOND(実はミクシーも嫌い)
④顔の見えない付き合いは基本的に好きではない

以上の理由からやらないのです。
本日議会改革推進特別委員会で議員間の自由討議や議場のパソコン持込が実現しそうです。

私は不思議な縁で議員にならせていただいた気がします。
誰が支援者なのか分からない、公約なんて考えずに好奇心と目だちたがり精神で奇跡的に当選を果たし、4年間もがいているうちに志が生まれ、志が生まれた頃に落選し、負け犬が嫌で意地でも当選してやるという思いで復活を果たしました。

最近市民派という言葉自体も胡散臭く感じています。
一人で変えることは出来ませんが一人が変えることはできるのです。
中途半端な議員定数削減なら市民が望むのなら半分にしたっていい。
ただ、後で気がついても今の政権のようにもう後戻りできませんが。
by kochan (2011-05-20 23:00) 

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