さぬき亭路上ライブ♪ [こうちゃん日記]
13日、亀岡駅前さぬき亭前にて路上ライブが開催されました。
街に音楽で潤いを与えています。
不定期に開催し、今回で3回目?懐かしいスタンダードナンバーから春日八郎さんのお富さんまで何が飛び出すか分かりません。よく見れば店主がチューバを吹いていました(笑)
完璧な演奏ではありませんでしたが、かえってそれが温かい人情味を醸し出しええ感じです。
次回は花火大会のおもてなしにやろうかな?との事でした。
その時は私も歌っているかもです(笑)
街に音楽で潤いを与えています。
不定期に開催し、今回で3回目?懐かしいスタンダードナンバーから春日八郎さんのお富さんまで何が飛び出すか分かりません。よく見れば店主がチューバを吹いていました(笑)
完璧な演奏ではありませんでしたが、かえってそれが温かい人情味を醸し出しええ感じです。
次回は花火大会のおもてなしにやろうかな?との事でした。
その時は私も歌っているかもです(笑)
おかげさまで吉富村7周年! [活動報告]
13日、南郷公園二八市の先輩格でもあります、吉富(きtっとみ)村7周年イベントに参加しました。地元の活性化の為におてんば?同級生の3人娘が立ち上がりました。(笑)
おかげさまで7周年です。
この通り、私は花粉とPM2.5か黄砂の影響かわかりませんが鼻水と目がかゆくてたまりません。
まゆまろくんも応援に駆けつけてくれました。珍しい後姿を撮影
継続は力なり!
おかげさまで7周年です。
この通り、私は花粉とPM2.5か黄砂の影響かわかりませんが鼻水と目がかゆくてたまりません。
まゆまろくんも応援に駆けつけてくれました。珍しい後姿を撮影
継続は力なり!
町内会お花見 [活動報告]
12日は町内会のお花見でした。
早いもので3回目の組長の順番が回ってきました。
今回は、参加者と言うより世話役です。私が引っ越してきた当時からお花見は地域の行事の一つで20年以上も受け継がれています。
私は焼き鳥担当。
こんなたくさん焼いて売れるのか?と思っていましたが天気も良く完売しました。
もう、しばらく焼き鳥は食べたくないと思っていましたが、お腹がすくとまた食べたくなってきました。
寝だめと食いだめはできませんね(笑)
地域のコミュニティーが薄れる中、こういう行事は大切な事だと思います。
私の近所もお花見会の参加者は子どもの代から孫の代になりました。私が越してきたころの子どもは今はもう成人しています。
月日の流れをそこはかとなく早く感じる今日この頃です。
早いもので3回目の組長の順番が回ってきました。
今回は、参加者と言うより世話役です。私が引っ越してきた当時からお花見は地域の行事の一つで20年以上も受け継がれています。
私は焼き鳥担当。
こんなたくさん焼いて売れるのか?と思っていましたが天気も良く完売しました。
もう、しばらく焼き鳥は食べたくないと思っていましたが、お腹がすくとまた食べたくなってきました。
寝だめと食いだめはできませんね(笑)
地域のコミュニティーが薄れる中、こういう行事は大切な事だと思います。
私の近所もお花見会の参加者は子どもの代から孫の代になりました。私が越してきたころの子どもは今はもう成人しています。
月日の流れをそこはかとなく早く感じる今日この頃です。
議員の仕事とは? [こうちゃん日記]
時々、ふとなぜこの仕事をしているんだろう、市民の役に立っているのかと自問自答する時があります。
私は特定政党や団体の推薦を受けず、いや受けずと言うより受けられずと言う表現の方が正しいかな(笑)会派にも属さず基本一人で活動しています。
なぜ会派に入らないのか、それで仕事ができるのかと聞かれることもありますが、同じ志のものがたまたまいないだけで同じ志の議員がいればいつでも一緒に活動したいと思っています。
今のシステムでは議長や委員長には絶対になれません。
そういう野心や名誉欲は全く興味がありません。
人から尊敬されたいとは思いませんが、信頼されたいとは思います。
議員は受験とは違い自分の勉強や努力だけではできるモノではなく、たくさんの人に支えられなければこの仕事はできません。
私の様に見返りを求めず応援してくれる人を探し出すのは至難の業でもあります。
しっと待っているのではなく私を必要としている人を探して求めて少しでも役に立ちたいと思っています。
大きなことはできないかも知れませんが、西川きよしさんの名セリフ「小さなことからコツコツと」
議会や委員会に出席し、与えられた事をこなす事は一つの作業であり、本当の仕事は自分で課題を見つけて市民が喜ぶ行動する事だと考えるようになりました。
何もこれは議員の仕事だけではなく、全ての仕事に共通している事だと思います。
私は幼い頃から、人前人を楽しませることが好きでした。
人の喜ぶ顔を見る事が自分の喜びでもありました。
人を笑わせたり楽しませるサービス精神が過ぎて誤解されることもありますが、それは私は自分の信念でもありますのでやり続けたいと思っていますし、今でもその思いは変わりません。
単純な事ですがそれが原点のような気がします。
一番ハードルの低い気さくな一兵卒議員でありたいと思います。
私は特定政党や団体の推薦を受けず、いや受けずと言うより受けられずと言う表現の方が正しいかな(笑)会派にも属さず基本一人で活動しています。
なぜ会派に入らないのか、それで仕事ができるのかと聞かれることもありますが、同じ志のものがたまたまいないだけで同じ志の議員がいればいつでも一緒に活動したいと思っています。
今のシステムでは議長や委員長には絶対になれません。
そういう野心や名誉欲は全く興味がありません。
人から尊敬されたいとは思いませんが、信頼されたいとは思います。
議員は受験とは違い自分の勉強や努力だけではできるモノではなく、たくさんの人に支えられなければこの仕事はできません。
私の様に見返りを求めず応援してくれる人を探し出すのは至難の業でもあります。
しっと待っているのではなく私を必要としている人を探して求めて少しでも役に立ちたいと思っています。
大きなことはできないかも知れませんが、西川きよしさんの名セリフ「小さなことからコツコツと」
議会や委員会に出席し、与えられた事をこなす事は一つの作業であり、本当の仕事は自分で課題を見つけて市民が喜ぶ行動する事だと考えるようになりました。
何もこれは議員の仕事だけではなく、全ての仕事に共通している事だと思います。
私は幼い頃から、人前人を楽しませることが好きでした。
人の喜ぶ顔を見る事が自分の喜びでもありました。
人を笑わせたり楽しませるサービス精神が過ぎて誤解されることもありますが、それは私は自分の信念でもありますのでやり続けたいと思っていますし、今でもその思いは変わりません。
単純な事ですがそれが原点のような気がします。
一番ハードルの低い気さくな一兵卒議員でありたいと思います。
天国で安らかに… … [こうちゃん日記]
昔、得意先だった酒屋のおばあちゃんが亡くなりました。
99歳でした。
あと少しで100歳。
100歳の壁は越えられませんでした。
このおばあちゃんは私の人生に大きな影響を与えた一人です。
とにかく凄い方でした。
何が凄いのかと言いますと、儲かった時も景気の悪いときも常に一定のリズムで生活をなさっていました。
全く景気に左右されずに、始末するところは始末し出すべき金は惜しみなく出す。
常に人に施しをし、お金にきれいな方でした。
そして、常に陽気でまるで大将(息子さん)といつも漫才のかけあいのようにどんな嫌なことがあっても明るく笑い飛ばしていました。
何十年も取引している中で親子喧嘩は見たことがありませんでした。
互いが褒め合い本当に仲の良い親子でした。
おばあちゃんは記憶力が凄くて、テレビやラジオで健康に良いという事は何でも試して常に腹八分目でした。
本当に安らかなお顔でした。
天寿を全うしたと言う言葉がぴったりでした。
大将のお礼の言葉も泣かせました。
生前より死ぬ時はピンコロで行きたいとおっしゃっていたそうですが、まさにそれを実践されました。
母であり人生の先生でしたともおっしゃっていました。
そして、最後は「お母ちゃんゆっくりしいや、さようなら~~」と明るく叫ぶ姿が涙を誘いました。
いくつになってもお母ちゃんと言うあの響きが何とも言えません。
本当に心温まるセレモニーでした。
もう、あの掛け合い漫才が見られないと思うと寂しいのですが、人生何が幸せかを考えさせられました。
私も残された人生、大将の様に照れずに悔いのないように親孝行せねばと思いました。
おばあちゃんのような生き方はなかなかまねができませんが、少しでも近づきたいと思います。
合掌。
99歳でした。
あと少しで100歳。
100歳の壁は越えられませんでした。
このおばあちゃんは私の人生に大きな影響を与えた一人です。
とにかく凄い方でした。
何が凄いのかと言いますと、儲かった時も景気の悪いときも常に一定のリズムで生活をなさっていました。
全く景気に左右されずに、始末するところは始末し出すべき金は惜しみなく出す。
常に人に施しをし、お金にきれいな方でした。
そして、常に陽気でまるで大将(息子さん)といつも漫才のかけあいのようにどんな嫌なことがあっても明るく笑い飛ばしていました。
何十年も取引している中で親子喧嘩は見たことがありませんでした。
互いが褒め合い本当に仲の良い親子でした。
おばあちゃんは記憶力が凄くて、テレビやラジオで健康に良いという事は何でも試して常に腹八分目でした。
本当に安らかなお顔でした。
天寿を全うしたと言う言葉がぴったりでした。
大将のお礼の言葉も泣かせました。
生前より死ぬ時はピンコロで行きたいとおっしゃっていたそうですが、まさにそれを実践されました。
母であり人生の先生でしたともおっしゃっていました。
そして、最後は「お母ちゃんゆっくりしいや、さようなら~~」と明るく叫ぶ姿が涙を誘いました。
いくつになってもお母ちゃんと言うあの響きが何とも言えません。
本当に心温まるセレモニーでした。
もう、あの掛け合い漫才が見られないと思うと寂しいのですが、人生何が幸せかを考えさせられました。
私も残された人生、大将の様に照れずに悔いのないように親孝行せねばと思いました。
おばあちゃんのような生き方はなかなかまねができませんが、少しでも近づきたいと思います。
合掌。